天職や使命を知り自分の好きな事をして生きていくシリーズで自己分析関連の記事を多く書いていますが、今日も「あ、こういう事か」と腑に落ちた感覚があったので自分の記録として書きます。
好きな事を仕事にしたいと願いつつも、正直どういう事を仕事にしたいのかわからない。天職とは使命とは何か、私は何をしたいのか。
そういう悩みに対して、日々少しずつ自分の本心を見つけていく方法を書きます。
他人に嫉妬だらけだった自分
2年前までSNSを眺めては輝いてる女子を見て「いいな~」と思い、こんな事を思っていた↓
「私はこの人と違って〇〇な路線で行く」
とか、素直にその人に対して羨ましいと思った事を認めればいいのになぜかその人の真似をしたくないという真逆な方向へ行ってしまう自分。
全然素直じゃなくて。今じゃそんな自分も大好きです(笑)
実はこの嫉妬や羨ましい気持ちは好きな事を見つける大ヒント
そういえばこんな記事を昔書きました↓
自己分析を続けてきて今だから思うことが、自分の好きな事や自分探しをしても「見つからない」って最近は考えています。自分が自分の人生の主人公であり、自分が人生の「創造主」なので自分探しをしても見つからないのは自分が創る側だから。
自分の人生を地球で沢山楽しむために「羨ましい」という気持ちのセンサーが最初からついていた。
羨ましいと思ったら堂々と「それいいね!私の人生のリストに入れさせていただきます!大きなヒントをありがとう❤」という気持ちで他人に感謝するようにしています。私はその羨ましいと思った事をノートに書きこんでいます。
人生で成し遂げたいリストに随時追加しています。
自分もやりたいのに「そうなれていない現実」があって羨ましい、自分もああなりたいと思いました。つまり自分の好きな事や挑戦したいヒントが見つかった瞬間でもあります。憧れの人、羨ましいと思ったこと、これを素直にどんどんノートやメモできる所に追加していく。自ずと好きな事が自然に見えてきました。
比べていた過去
昔から無意識のうちに勝負社会で育ってきた。だから無意識のうちに他人と比べるようになっていた。
会社員を辞めて、勝負社会から抜けて、人間関係を最低限にし自分軸にシフトしてみてわかったことがあります。
それは
全部無意味!
SNSで輝いている人がどんどん成長した所で、私に何の弊害はない。
他人がどんどん成功して稼いだとしても、私に何の弊害はない。
無意識に誰かが成功すると何かが奪われる錯覚を自分の中にあっただけ。
誰かが成功したら自分が取り残された、自分が輝く場所がなくなる感覚に無意識になっていた。
本当に・・・勘違いだった。
誰かが成功して羨ましいと思ったらノートに追加。自分もそうなれば良いって事。方法は無限にあるのに、方法はそれしかないと「脳」の癖で勝手に思い込んでるだけ。
と、今では冷静にわかります。そして自分の好きな事を見分ける大事なものが一つ↓
エゴ
それはエゴから来たものなのか、本心から来たものなのか、よく考えることがあります。
他人を見ていいな~と思ったことは最近では「ラッキー!」ヒントをくれてありがとう!と自分の好きを見つける方法として取り入れていますが、月日が経ちメモを取ったノートを見返すと・・・
あれ?それ本当にやりたいのかな?
と疑問に思うものもあります。
ここで私はさらに自分の気持ちに踏み込んでいきます。
それはエゴなのか?本心なのか?
エゴ=世間から認めてもらいたいから羨ましいと思った?世間で有名になれる手段がそれだと思った?それやったら大成功だと「世間の評価」が優先になっていないか。
だいたいエゴから発生する欲というのは長続きしません。そして気づかないままエゴから沸いた欲を実行しようとすると凄い努力が必要な気がしました。
もしエゴから発生した「いいな~」と思ったことで、冷静になって興味がなくなったらノートのリストから削除しても良い。それは本心じゃない。自分の好きな事を日々のヒントから得てどんどん夢を叶えていく。それが優先。
勘違い、表面的なものじゃなくてその裏
最近ここに気づけるようになった自分。
他人を見て羨ましいなと思ったことが、実はそこじゃなかった!ってオチ。
例えば他人のSNSを見て憧れの人が海外で沢山写真を撮っていたとします。その人がイキナリ「写真飽きたから次はこういうことをしました!」と全く別なことをやり始めた。
そこで私が気づいたのは、憧れの人がプロっぽい写真を沢山撮ってるのを見ていいなと思ったけどそこじゃないのかも。羨ましいと思ったから私も写真を撮るのが好きだと思い込んでいたけど・・・なんか違う。。
もしかして私が羨ましいって心がざわついたのは・・・「世間を気にしないでワガママに大胆にそして自由にその時の自分の気分で方向性を変えて行動するその自由さ」なのか!って。そして物凄いスピードで自分の夢を叶えまくっている姿じゃない?とか。
社会人生活していると自分の言動や行動に責任を持て!的な空気感をオブラートに感じますが・・・
その縛りが実は自分の心(魂)がいや!って感じてもっと自由になりたいっていう所を気づかせるために、その憧れの人に嫉妬したきっかけとなったのかと。
表面上じゃないもっと奥深い所に本当の答えがあったパターン。
まとめ
自分の好きな事を仕事にしていく、または自分にあった仕事をしたい。
でもこれって通らなければならない壁があります=自分は何がしたいのか、究極の自己分析。
自分は世界に一人だけだから。
他人に「ねえねえ、私って何を仕事にしたいのかな?」なんて聞いても誰も教えてくれない。でも自分の心はとっても嬉しいはず。やっと自分と向き合ってくれるんだねってもう一人の自分は喜んでいる。
最近の私は毎日至る所にその答えがあるなと感じるようになりました。
自分が生まれ持った最強のツール「羨ましい」と思う気持ちセンサー。
他人に対していいな!羨ましい!と思ったら感謝をしてそのヒントを自分のものにする。
それ私もしてみよう!やってみよう!
真似した所で他人に何も弊害はないから。
かといって全部他人から得たヒントを一気にできる行動時間もないから、どんどん自己分析ノート(私は自分プロデュースノートと呼んでいます)に書き込んで日々その夢を叶えていく努力をする。
数日、数か月して見直した時に「あれ?なんで憧れたんだろう。なんで羨ましいと思ったんだろう・・」と思ったらきっと成長したのかエゴからきたものなのか。いらなくなったら削除する。
沢山自分が人生で創造したいヒントを書いていくと仕事としてどう形になるか自然と見えない力も動いて来る。
好きな事が何かわからない、天職なんてわからない!と叫んでいた私は日々の小さな努力で自分の人生を創造することにしました。毎日の積み重ねが天職につながるって信じています♪
勝負社会から協力社会に、世の中は変わって来た気がします。気のせいかな。。。
コメントありがとうございます!なぜだろう、、、私もそう思います♪