こんにちは、舞です。
わかってはいるけど、行動できないという日々がかなり続きました。
例えば、やらなければいけない仕事の案件、行動しなきゃ自分の収入が上がらないとか。
頭ではわかっていても心が追いつかないというか、本音はやりたくないんです。
でもやらないと(行動しないと)収入が入らないんです。(フリーランスなので。)
それで重い腰をあげて実際に行動してみると苦痛でしかないんですよね。
ということで、人生をかけた実験「行動できない時あえて行動しない選択をした」事でわかった事を自分の記録としてまとめます。
行動できない時は素直に行動しないという選択をしわかった事

人生をかけた実験をし始めた日から、常に様々な感情を感じています。
人生をかけた実験とは一旦世の中の常識を捨ててみる、自分の本音に従って生きるということです。
人生をかけた実験の一歩は、自分の心に従い何も次が決まってないまま会社員を辞めてフリーランスになった事。
来月から収入の確保もないまま、本当に辞めてみたらどうなるのかなという実験に近い感じでした。
フリーランスになり色々大変な事もありましたが、正直「困った事は起きなかった」というのが本音。
そうやって自分の人生を通して本音で生きる道を選択したのに、ある日こんな日が続きました↓
- なんとなく行動できない
- わかってはいるけど行動するまで腰が重い
- 現実が動かない
私の場合はフリーランスなので、行動しないと収入が上がりません。
では収入の仕組みを作るにもやはり行動が必要です。
しかしわかってはいても「動きたくない」のです。
案の定、動きたくないので自分にムチうって行動すると本当に時間が長く感じるし苦痛なんですよ。
それで私はある決断をしました。
この自分の本音に従ってみよう、行動しないという選択をすること。
行動しない日が半年上続く

フリーランス1年目、安定的な収入が入る仕事が1つできました。
しかしそれだけでは厳しいので、収入を上げる必要がありました。
そのためには仕事量を増やしたり収入源を増やす必要があるので、行動が必要なのですが、行動をしたくないのでいつも通り生活しました。
そして行動したくない日がなんと半年続きました。
その半年の間、仕事を増やすという行動はしなくても、自分の心をずっと観察していました。
- なんで収入源を増やす事をそんなに急いでいるのか?
- 正直今の収入でも生活はできるっちゃできる、周りの目を気にしているのか?収入源を増やしたいもっと奥底にある本音って「私はフリーランスでちゃんとやってます!」といつかアピールしたいのか?
- 自分の理想の人生にちょっとずつ近づいてきた、でも何か満たされないのはなんでだろうか
- なんで私は今の環境から動けないのか
- 現実が変わらない
- 八方塞がりな感じは何だろうか
- フリーランスになって海外を飛び回りたい!そう願ってから2年後、本当に今年は2カ国へ出張に行ったのに何で心は満たされなかったのだろうか、期待通りじゃなかったから?どんな期待をした?
- ブログが全然更新できない
見たくない自分の本心までちゃんと見る。
そんな日が続いてついにやってきました。
私は体験し納得するまで動けなかった

最低限の仕事をこなした後はボーッと過ごす日々を続け半年、自分の心の動きを観察し続け、その日は来ました。
何かが自分の中で腑に落ちた。
今の仕事とは全く関係ない事なんだけど、過去に背負った傷、嫌な記憶、勝手に背負ってしまっている責任感、色々手放してきたつもりなのに、まだまだ残っていたみたいで。
この半年間、動けなかった、動きたくても動けない環境にいた、もらったチャンスがあっても期待通りじゃなかった。
「動けない又は動きたくない」状況を身をもって感じ切ってみた。
感じきると行き場がなくなって次の行き場(目標)に行く事を決断した。
あ、私これやろうって。
私の中でやっと何かを決断したとたん、自然に身体が動き始めました。
行動できない時ってしなくてもやっぱりいいんだって思った。行動する時は自然に身体が動くから。
これは私が半年以上仕事の利益をストップさせて納得した事でした。
行動できない時は無理に行動しても続かない

今まで会社で学んだ事は「お給料もらっている以上の成果を会社へ貢献する」ことでした。
自分の心を殺してまででも行動・行動・行動。
それが正解(だと思いこんでいた。)
だから行動できない自分はダメだ、自分で自分を奮い立てせて行動する。
↑今まで得た常識を捨て、行動できないもんはできないという選択をし、実際半年間「やらなければいけない」と思っている事はしなかった。
それで感じたのは
お尻を叩いてイヤイヤ動いたものって続かないと思う。それは自分自身も一緒。
「やる気とか情熱」を一時的に自分の中にエネルギーを入れても行続かない。
- 心に閉まっていた過去の記憶、つっかかる物を手放す
- 何のために行動するのか、本当にその行動は自分の本心なのか、周りの期待のためにするのか(もしそれが理由だったら続かない)
- 行動しない事で「つまらない」という感情を味わいきってみる(私はつまらないという感覚も出てきたので)
こういう自分観察をし感情を感じきり自分の中で何かを決断すると、自然に身体が動いたんですよね。
無理なく、いらなく自分自身に喝を入れる必要もなく。
毎日の生活の延長線上に、半年前「やらなければ!」と思っていた事が今普通にできる事にちょっと感動しています。
何も行動できない時に気づいて欲しい事

行動できない自分がいて、それに対する捉え方は人それぞれだと思います。
- ダメだと思う
- 改善しようと思う
- 諦める
- 人生の見直し期間だとプラスに捉える
など、目の前の現実に対しての捉え方に正解はないと思うのですが。
今回の経験を通し、私はこんな風に感じました↓
- 行動できないからこそ、この状況は私を私自身の心にもっと目を向けるようにさせた
→やらなければいけないと思っている事は誰かの期待のため?自分のエゴのため?本心はどこ?
- 現実が変わらない、願っても、何度願っても変わらない、だから私は私自身にもっと目を向けさせた
→この環境からもっと飛び出したい、でも何でここにいるんだろう、この環境は私に何を気づかせたいのだろう
- 行動できないからこそ、腑に落ちた事が沢山あった
→私は何に気づいていなかったのだろう
行動できないからこそ、私は世間や外の世界ではなく私自身に沢山問いをなげかけて私自身に何かを気づかせたかったのかもしれない。
結果、今無理なく通常の生活上に新しいタスクを追加し仕事の作業量が増えました。
まとめ
行動しなきゃ!やらなくちゃ!
その行動の裏にある本音ってなんだろうか。
本当に今すぐ行動する必要がある事なのだろうか。
私は私に何を気づかせたいのだろうか。
行動できない時、行動しない選択をした事で感じた私の経験でした!
今日もブログに目を透して頂きありがとうございます^^良き一日を。