自己分析

人生の変化は環境が変わるだけではない|心の在り方が変わる時

選択
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先日、自分の人生で大きな節目を迎えた気がしました。

無意識でしたが決断したのは夏至の日でした。

その日決断した事は「自分の意志で生き方を選ぶこと」です。

その日から心が少しづつ軽くなってきて、さらに新しい気づきをえました。

本日は人生の転機や変化が目に見える環境の変化だけではないことを実感したので、その記録として綴ります。

人生の変化や転機は環境の変化だけではなく心の変化でもある

人生の大きな変化とは、目に見える結果を期待していました。

自分の中で考えていた人生の節目や大きな変化とは、環境が変わったり仕事が変わったり、新しい人間関係が始まったりというものでした。

実際、20代までは環境の変化に影響を受けてきたので、人生の変化とはそういうものだと思い込んでいました。

しかし今回気づいたのは、自分の外側(環境)ではなく自分の中(在り方)が大きく変わった事でした。

夏至の日、私が無意識に決断したことは「復讐のために(見返したり、誰かを説得させるために)生きるのをやめる」ことでした。

復讐心の奥底に隠れている本音に気づくと大きく人生が飛躍する

2018.06.21

不思議と自分の中で決断したことで、また新たな気づきを得ました。

この記事に書いたのは、同じ根を持つ感情は表裏一体であり、常に憎悪にも愛情にも変化できること。

今までの人生の中で経験した感情は、「見返してやる」という気持ちに意識を向けていましたが同時に「本当は好き」という愛が存在していました。

同時に存在する両感情に、私は見返す方を選択し続けてきたことに気づいたのです。

絵で例えると、こちらがルビンの壺と呼ばれるものです。

ルビンの壺

*写真参照:はぐれめたる

一瞬何が見えるでしょうか。

壺?それでも視点を変えると2人が向かい合っているようにも見えます。

今この瞬間、壺も人の顔も同時に存在していますが、私はどちらかしか見ることができません。

壺に意識を向けている時は、もちろん人の顔は見えませんし、逆に人の顔に意識を向けている時は壺は見えずただの背景にしかすぎません。

上の絵を例えると、今この瞬間、同時に存在しているものを私は選ぶ事ができるということです。

悔しかった経験をした事で、「見返したい」という気持ちを選択するのか、「あ、本当はその人の事が大好きで認められたかったんだな、好きなんだな」という気持ちを選択するのか。

常に選択肢は自分にあり、心の在り方ですら自分で選ぶ事ができるということ。

人生の主導権は常に自分にあるということ。

10代、20代、癒えない記憶を持ったまま「見返してやる」という方を選択し続け、やっと今「どっちを選びたいのか」に気づくことができました。

今回の経験で、この世界は自分自身に気づく旅のように思えました。

他人を通して、嫌な感情を味わう事ができた、そしてやっと「じゃあどうしたい?」と自分に問い、自分で在り方を選べること。これは私以外の他人がいないと気づけなかったことだと思うと、どんな経験であれ関わった人達には感謝なんだと感じます。

2年以上、自分と向き合う自己分析を続けてきて、ずっと焦っていた。

目に見える結果が出ていない、私が思っている成功しているイメージと全然違う、現実なんて何にも変わらない。

焦りつつも、毎日地味な事の繰り返し。

今日は私はどうしたい?本当にこの仕事したい?本当は何食べたい?

一瞬一瞬、自分を見ること。

そして初めて気づきました。

確実に2年前の自分と変わっていたのは「心の在り方や物事に対する捉え方」です。

何も変わっていないと焦らなくても私の内側は大きく変わっていました。

今日も何も変わっていないようで、水面下ではちゃんと動いている。

もう誰とも比較しなくて良いし、されても気にしなくて良い、自分が今この瞬間したいことを全うする。

やっと自分自身にOK(YES)を言えた気がします。

人生の変化で心の在り方が変わる時、環境の変化よりも大きなエネルギーを感じます。

本日も私の気づき記事に目を通していただき、ありがとうございます。

本日も皆様にとって最高の一日になりますように!

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