今日はシンクロニシティは常に毎秒起きている事、そしてシンクロニシティとは自分が想像または期待していた結果ではなかった事を体験しました。
シンクロニシティとは意味ある偶然の一致と言われていて、日本語では共時性や同時発生とも訳されウィキペディアではこのように書いています。
シンクロニシティは日本語では「共時性」と訳され、複数の出来事が意味的関連を呈しながら非因果的に同時に起きることである。しかし、因果関係自体が哲学的議論になってくるため、正確な理解は難しく、解釈の余地が大きいとする考えがある。
引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シンクロニシティの存在を知った時は「そんな事があるんだ」程度のレベルで、信じていませんでした。
たまたま、偶然、これが重なっただけ。
過去を振り返ると偶然は沢山あり、例えばたまたま出かけた先に知り合いがいたケースは沢山体験してきました。その時は偶然ってあるんだな〜と真剣に考えていなかった時期なのでシンクロニシティについて深く考えていませんでした。
ただ、ここ2年ほど。
今までの常識を捨てて新しい常識を取り込んだり、見えない何か(ご縁・人生の流れに乗るエネルギー・スピリチュアルなど)を信じたいと強く思うようになってからは、シンクロニシティについて意識を向けるようになりました。
ここ2年以上、シンクロニシティについて深く勉強してみるというより、ただ日々の生活の中で意識をしてみるという事を実践してきた感じです。(むしろ本を読んだりするのは面倒で笑)
そんな中、今日は自分にとって衝撃的な発見があったので、記録としてブログに残します。
衝撃的というのは、自分が期待していた「シンクロニシティとは」が全くの予想外だったということです。
シンクロニシティで偶然会うのは本当に意味があり必然である
一人で買い物に行こうと外に出たら大粒の雨。(台風の影響で)急いで車に乗って出発。
いつもの道を行こうと思ったけど、ふと、あえて別な道を行こうと思い別な道を走行することにしました。
その別な道とは、両親が買い物している場所がある方向。
なんとなく、「凄い雨だけどあの二人大丈夫かな〜」と頭をよぎったのです。
とはいえ、わざわざ車を止めて二人を探し家まで送ろうとまでは考えませんでした。(えへへ)
本当、ただなんとなく。あの二人は大丈夫かな程度。
そして車を走らせていた所!
ちょうど二人が買い物先の出口から出てきた所で、しかも両親も私の車に気づいて手を振っている!
車を止めて両親が車に乗ってきて一言「ちょうど今マイに電話しようと思ってた所だったのよ!傘持ってきて欲しいって言おうと思ってたの」と。
完璧なタイミングすぎ!
この時、「シンクロニシティが起きてる〜」と感じていました。
そして両親を結局家まで送り届け、買い物へ!
デパートのフードコーナーあたりを歩いていると匂いやら視覚の影響なのか、ふと「あ、たこ焼きたべようかな」と思いました。
たこ焼きを買うか買わないかはさておき、とりあえずたこ焼き屋さんへ向かうと・・・
「マイちゃん!」と誰かに話しかけられ、そこにいたのが、かれこれ数年会っていない親戚がいました。
「わあ〜久しぶり〜!」となって少し会話をして。
まさかたこ焼き屋さんで再開するとは。
そしてこの時に気づいてしまった・・・
シンクロニシティってあまりにも自然すぎて意識しないとわからないレベルだってこと。
シンクロニシティを学ぶシンクロニシティマネジメントとは
シンクロニシティという言葉に興味を持ち、ネットで調べたり本を読んで学んでいた頃、こういう本を読んでいました。
そして調べたり読んで学んだ結果、どうやらシンクロニシティは誰にでも平等に毎秒起きている事を知りました。
どうやら例外はなく特別扱いもないらしい。(特別扱いとは、特定の人にだけシンクロニシティは起きないということ。それは決してないらしい。)
ということは、「例外がないなら私は今自分に起きているシンクロニシティに気づいていない?!」と思いました。
それを知ってからはシンクロニシティに意識を向けるようにし、「今のは何だったのだろうか、どういう意味なのだろうか」と最初はわからないままただ考えてみたり。
そして期待をしていました。
シンクロニシティが起きる時ってなんかビビッというのが来るのかな?!なんか魂のメッセージみたいなのとかあるのかな?!と、いかにもわかりやすいメッセージを期待するようになりました。
シンクロニシティが起きる前は何か見えない力か何かで予言があるのかなと、ドラマチックな展開を望んでいたんです(笑)
それなのに今日体験したシンクロニシティを冷静に考えてみたら、私の予想とは全然違いました・・・
単純なるいつもの思考の中に紛れ込んでいた「あ、こっちの道いってみようかな」「あ、これ食べようかな」という、ふと湧き出てくる考えにフットワーク軽く行動したらシンクロニシティが起きた。
劇的にわかりやすいサインを求めてたのに、日々の生活で何げない事を考えている思考の延長線上に湧いてくる自分の声(考え)がシンクロの合図だなんて。
自然すぎてシンクロニシティ見落とすわ!(笑)
例えば何が心の声なのか、妄想なのか、単なる思考なのか、自分で見分けられないレベルにいたら見落とすよ。(結局思考も全部心の声って事なのかなって今回は感じたけど。)
*ちなみに何が妄想で何が思考なのか冷静に自分を客観視できるようになるきっかけは瞑想でした↓
ここ2年以上、シンクロニシティを意識してからは、直感で選んだり決断をする事が多くなりました。
誰に相談する訳でもなく全部自分の心に従って行動をする。(心が会社員辞めたいと思って後先考えず本当に辞めちゃった事もあったし↓)
そんな中、改めてシンクロニシティが起きている瞬間、自分が何を考えて行動したのか分析できたのは今日が初めてでした。
意外だった・・・
シンクロニシティは日々の生活の中、常に起きているは本当だった。
ただ、あまりにも自然すぎて気づくには意識しないと難しい。だから自分にはシンクロニシティは起きていないと感じる人は多いかもしれない。
シンクロニシティが続くのは毎瞬湧き上がる自分の考えを忠実に行動に移すこと
そして夜、今日の気づきを忘れないようにノートに書いている時。
ブログ読者様からメールが届きました。
「ブログやニュースレターの更新がないようですが、また記事を読みたいです」という嬉しい内容でした。
その時!
また自然に思考の一部として湧き上がったのが「つまり今日の気づきもノートじゃなくてブログにアップするってメッセージだったりして」と感じたのです。
私が今日の気づきをノートに書いているタイミングで「更新してね」というメッセージ。
これを「まさかね」で終わらせるのか行動するかでシンクロニシティが変わってくるんですよね。
今日の体験から、ふと自分が感じた事を行動してみるとシンクロニシティが起きる、自然すぎてわからないから、まさかねと思いスルーをして行動しない決断をしてもいいし、本当に行動をしてもいい。
どちらを選んでも誰にも迷惑はかけない。
ただ自分の中の遊び、シンクロニシティに気づけば毎日が楽しい。
ということで、読者様からのメールを見て「ノートじゃなくてブログに書こう」と決め今ブログに書いています。
確かに、ここ最近は新たな気付きがあってもブログに書かない日々でした。
ブログそろそろ更新しなきゃな〜と思いつつも、新たな気付きがある度に自分の中で考えたり、感じきってみたり、自分の中だけで完結する時間が多く、そしてこれもまた自分の心に忠実に従っていました。
心の声:(なんか書きたい気分じゃない)
今日も書きたい気分じゃない、そんな日々が続き、その気分に忠実に従い本当に書かないという行動を選ぶ。
ただ、同時に「そろそろ書きたいかな〜気分がのれば」というのも湧き上がっていました。
だからこそ、今日のタイミングで読者様から届いたメールが「あ、そろそろ書くっていうメッセージだ」と私は捉えました。
さて次はどんなシンクロニシティが起きるかな♪
まとめ
今日はシンクロニシティを意識する毎日って面白いなと感じれた日でした。
シンクロニシティでスマホがなくても完璧なタイミングで人と会う、他人からメッセージをもらう。
そしてシンクロニシティはあまりにも自然に起こりすぎていて、普通に生活していたら気づかないレベルだなと実感しました。
私は一人ひとりパワーを持っていると思っています。パワーというのは物事を決める力。
沢山の情報が溢れている今、全ての情報を鵜呑みにするのではなく、正しい・間違いだけで判断せず、自分がその情報を自分の知識として取り入れたいか取り入れたくないかを他人に決めてもらうのではなく自分で決める力。
正直、シンクロニシティに対しても一人ひとり感じる事は違うと思います。
あくまで本日は私が感じた個人記録であり、私にしか当てはまらない考え方かもしれませんので、自分が信じたいシンクロニシティ論を追求してくださいね。
シンクロニシティによりこの記事を読んでくださってるあなたにとって今日も最高な一日になりますように♪