こんにちは、マレーシアの鳴井です。
自分の中にある潜在意識のせいで自分の可能性を制限してしまう。どういう意味かまったくわからなかったけど、やっと何となく30歳目前にしてわかってきた。ある女性と出会って過去の自分を解き放つことができたお話です。
世間の正しい・間違いに合わせて生きてきましたが、常に選択肢は自分が持っていいのですよね。
その成長記録として残します。
過去の先入観を捨てるために出会った衝撃的な人
高橋さんとは半年前知り合いを通して出会った。私の母より年上であろう彼女はとても上品な身なりでシャングリラホテルで新聞を読む。
シャングリラホテルにはマレーシアの政界の方がよくいらっしゃって彼女に先方から挨拶しにくる。私は誰が誰かわからないけど、私もとりあえず挨拶をする。
何人に挨拶しただろうか。。。挨拶する度に彼女は私に説明してくれる。「今の人は前大臣の息子の○○よ」「あの人は○○省だった人よ」など私にはさっぱりわからない世界。
彼女はもう30年以上マレーシアにいるが日本人とはあまり関わらないようで。
彼女は初めて会う私に対して熱弁してくる。「なぜ日本人はマレーシアに来てまで日本人相手にビジネスするのか、全く理解ができないわ。世界とビジネスするというのはローカルと仕事をしないと意味がないじゃない」と。
彼女は自分の意見をしっかり伝える。彼女曰く、日本からマレーシアに視察にくる方に自分の意見を言うと日本人は彼女にもう会いたくないという方もいるみたいで。意見が合わないからだと。
日本人はディベートという教育を受けてきていないから話し合いができない。物事を良いか悪いかで判断する。自分が「こう思う」という意思や意見とそれが「正しいのか間違いなのか」「良い悪いか」は全く別問題なのにそれを一緒にしてしまう、と彼女は主張する。
確かに、私は彼女と話していて意見が合わない所もあったし共感できる所もあった。ましてや初めて会う私に「私からするとあなたは仕事をしていないようなものだわ」と言われた時はとても頭にきた。私、なんでこの人と話してるんだろって疑問に思うこともあった。
でも、こんな強烈的な人と出会ってしまったからには何かしら学びたい。家に帰ってから彼女との会話を思い返してノートにまとめた。頭にきた感情を取り除き、あの女性から学べた事は何なのか。感情を引き離して冷静にまとめるのが結構ストレスで頭痛くなった。。。一番心に残っているのは「自分の意志や意見」と物事の良い悪いはまた別問題ということ。
正直、もう会わないかなと思ったんだけど・・・翌月シャングリラホテルに行き彼女を見つけて話しかけた。彼女は笑顔で「ま、ま、座りなさいよ」と言いまた話し始める。家に帰りやっぱり共感できないわと思うことがある・・・
また翌月、たまたまシャングリラで彼女を見つけたので挨拶しに行く。そこで自分の思いを伝える。
「私は高橋さんに出会って勉強になった事がありました。沢山あるけど、中でもディベートと物事の良い悪いは全く違うということがやっとすんなりわかってきた気がします。」
過去の自分が今の自分を作ってる
私は父と学生時代はずっとあまり仲が良くなくて。高校生の時に言われた「お前はお母さんを越えられない」という言葉がきっとどこかで「この人に認められたい」という気持ちが「世の中の正しいこと」が自分の基準であったり自分の意志であり「世の中に認められていること」が自分の進むべき道で、いつか父に認められたいと思っていたんだよね。きっと。
ちゃんと大学を出ること、世の中で名の知れた会社に入ること、自立して親戚中にも彼女はしっかり生活しているって思われること、それが父に認められることなんだと自分が認めたくない自分のダークな気持ちを素直に思い出して。
高橋さんと出会って自分自身の見てみないふりしていた部分と正直に向き合うことにしてみた。
素直に生きることにしたら、もっと他人を受け入れることができた
私の考えや進む道が世の中で一般的じゃなくても、「自己を持ち」「自分の考えに素直に生きる」こととそれが「正しいことなのか間違え」なのかは全く別問題。また海外に飛び出して様々な人に出会い様々な考え方に出会えた。それが自分の考えと異なっていても、「それはその人の考え」であることを認めたら素直に尊敬し「なるほのど、そういう考えもあるのか」って思えるようになってきた。自分の意見は押しつけずに。その人を尊重する。
頑固にならず、昔の自分の先入観に負けないで、新しい思考を脳みそに取り入れて、ポジティブに自分が進みたい道を信じて可能性を自分で殺さないで行動する。
ある日、高橋さんとお茶していたらマレーシアでストックブローカーをしているカナダ人が高橋さんに挨拶してきた。その時高橋さんは彼に私をこんな風に紹介してくれた。
「この子は自分の意志をしっかり持ってる面白い子よ。こんな私にいつも話しかけてくるんだからね。」
高橋さんとはまた近いうちにシャングリラで会えるかしら。
今日は完全なる独り言でした。
他人の批判は、自分の事を思ってのアドバイスが、たまたまマイナスに振れただけの事と聞いたことがあります。感情的に頭に来ること、怒りの感情を取り除き冷静にアドバイスとして受け留めようとする努力は、とても素晴らしいと思いました。そんなに簡単にできる事では無いと思います。
それでけでなく、批判の様なアドバイスを通して、そのアドバイスをしている本人の意図を遥かに超える様な、本質的な部分を見出している部分の努力や感受性の高さに、大変に感銘を受けます。こちらの記事を読んで色々見習うべきところがありました。
そして、自分がアドバイスをする立場になった時は、聞き手の能力や才能、努力に依存しない様なアドバイス、アドバイスする側としての努力をしなければならないと痛感させられる思いです。アドバイスの仕方では、人を潰してしまうことも、人の本来の能力を伸ばす事にも繋がるとになるのだと、大変な役柄である事を認識しました。
色々な素晴らしい出会いがあるのは、鳴井さんの人柄なのでしょうね。きっと。大切な体験をシェアして頂きありがとうございます。
コメントありがとうございます。アドバイスする立場になった時、その人の能力を伸ばすことも逆に人を潰してしまうことにも繋がるというのは強く共感できました。導く立場の人間はそれなりに責任があるんだなと私自身今回コメントいただき勉強になりました。聞き手の能力や才能・努力に依存しない様なアドバイスですね・・・素晴らしいです。こちらこそ、新たな発見をくださりありがとうございます。